VOĈO ─青年部役員のひとこと─

「まつごころ」コラム 

 

 
 

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大本の教え



■ 教旨
 大本では、次の聖言をもって「教旨」としています。
教祖出口王仁三郎が啓示にもとづき作成したもので、教えの真髄が、もっとも簡明な形で示されています。
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、神人合一して茲(ここ)に無限の権力を発揮す

大本は、神について、人について、神と人との関係について示した聖言を教旨としています。
人は、神のみ心を腹の底から理解し、神のみ力を受け、神と人とが一体となって人類の理想の世界を築いていくことをうたっています。

「神は万物普遍の霊」とは、神はこの世一切を創造されたご存在であり、この世一切のものには神の普遍的な霊が宿っているということです。

天地経綸の天とは、地上に対する宇宙であり、現実世界に対する霊の世界をも意味します。
ここでいう天地とは、霊界・現界を合わせた全宇宙を指します。経綸とは、整え治めることです。

私たち人間は神の代行者として、神の願われる理想世界の実現に向けて、宇宙全体を整え治めるために構想し、実践していく責任者です。

人間は神が創造されたすべてのものの霊長であり、神の願われる理想世界を実践していくために、神から絶大なる知恵と力を授けられているのです。

人はこのような雄大な使命を頂いていますが、その使命を果たすには、神人合一することが絶対の条件です。神の心を心とし、神の力を身に受けてこそ、この使命を遂行し、限りない権威と力徳を発揮することができるのです。

 

■ 綱領
 大本では、次の四大綱領をもって、世界経綸(地上天国の建設)や人類生活の根本原理としています。
   一、祭(さい)[まつり] 惟神(かんながら)の大道
   一、教(きょう)[おしえ] 天授の真理
   一、慣(かん)[ならわし] 天人道の常
   一、造(ぞう)[なりわい] 適宜の事務

宇宙の法則として、また人として、真に生きがいのある生活をいとなむために、どうしても実践しなければならない、四つの基本的な原則です。

祭 惟神の大道

まつりとは「真釣り」の意味で、全く釣り合うことをいいます。
神のみ心と自分の心がまったく釣り合った状態が神とのまつりの状態、神人合一の状態、無限の権力が発揮される状態です。

神とのまつりあわせは、経のまつりです。
同様に経のまつりとして、天界と地上世界のまつりあわせがあります。
また緯のまつりとして、宇宙環境、地球自然環境、社会環境、人間環境のまつりあわせがあります。
つまり、まつりとは神と人との間だけでなく、宇宙のすべてのものの間に行われているものであり、私たち人間相互の間にもまつりがあります。
このまつりが崩れると、幸福はなく、調和が崩れ、平和は到来しません。

人間相互のまつり

ここで、人間相互のまつりについて考えてみましょう。

私たちの身近なところでは、まず夫婦のまつりあわせがあります。
男女は同権ですが、大本では 夫唱婦随 と教えています。
夫は家の大黒柱です。妻は夫をたて、夫に従いながら家を治めていく役割があります。
縫い物にたとえると夫は針、妻は糸です。針である夫が縫い代をすすみ、その後を糸である妻が従ってすすんで、縫い上げられていきます。
この 夫唱婦随 の基本が崩れると、夫婦のまつりが崩れてしまいます。

親と子にも、まつりがあります。
親は子を養い育てる義務があり、これをいい加減にしていると、子供の性格までもゆがんできます。
一方子供は、養い育ててくれる親を愛し敬うのが、本来の姿です。
家庭で起こる諸問題の多くは、親と子のまつりあわせができていないことに起因します。

先生と生徒の間のまつりは、教える側と教わる側というけじめが大切です。
これが師匠と弟子のまつりとなると、教える側と教わる側のけじめがより絶対的なものとなります。
師匠の指導は絶対として素直に受け取ることで、弟子は師匠の技術のみならず精神までも吸収していくことができるのです。

このほか、先輩と後輩、友人同士など、身近なところでいろいろなまつりがあります。
それぞれそのまつりのあり方は異なりますが、正しいまつりあわせが行われていけば、そこには幸福があり、調和があり、平和なのです。

自然とのまつり

動植物の世界にもまつりが行われています。
草食動物は植物を食し、肉食動物は草食動物を食し、すべての生命は土に帰って植物の養分となり、それぞれが生成化育していっています。
大自然の営みの中で、植物、草食動物、肉食動物の三者が見事にまつりあって、それぞれの子孫を残し、はぐくんでいるのです。

宇宙大に目を移せば、宇宙の中では小さな存在である太陽系宇宙でも、太陽の周りを地球などの惑星が衝突することもなく、規則正しく運行しています。
そのまつりが、無限に広がる宇宙の彼方まで絶妙に行われているのです。

人体も小宇宙と言われ、あらゆる臓器が、すべての細胞が、まつりあって動いています。
このバランスが崩れると体調を崩したり病気になったり、生命をむしばんでいきます。

このように、まつりとは宇宙の普遍的リズムであり、すべてのものは大神さまの神格であるこのリズムによって動いているのです。

神霊との和合

すべての組織には中心があります。
全大宇宙の中心は、天地宇宙をお創りになった主の神です。
この中心の主の神とまつりあわし、そのご恩に対して感謝の気持ちを表すことが、まつりであり、祭祀です。

神をまつるあり方として、顕斎と幽斎の二つがあります。
さまざまな形式を整え、荘厳にして美しく楽しく行うものを顕斎、神霊に対して自身の霊をもって行うものを幽斎と言います。

日本の神道では、昔から祭を顕斎と幽斎に分けています。
幽斎は、体的な対象なしに、あるいは形式なしに神に対するものです。
顕斎は、ある一定の儀式にしたがってお祭りすることで、神さまの宮を作りお供えをしたり、朝夕のお礼をするということは、顕斎にあたります。

顕斎は「祭るの道」、幽斎は「祈るの道」で、どちらも大切です。
顕斎のみにかたよるのも、幽斎のみにかたよるのもよくないと示されています。

正しいまつり

人は神に目ざめ、万物は神のみ心によって、神のみ恵みの中に生かし育てられていることを悟る時、おのずから、神さまに対する感謝の心がわき上がってくるものです。
人の心の中にあることは必ず言動となって現れますが、この神さまに対する感謝の念は、神を斎きまつるというやむにやまれぬ心情となって現れるのです。
また、神さまのみ心に真釣り合い、神のみ国をこの地上に移してゆくためには、まず、神さまに祈りをささげることからです。
この感謝の心が行為となって現れたのが「祭り」です。

大祓いの意義

神に仕えるには、修祓、潔斎が不可欠です。
大本の祭典は、種々の罪穢、科過を大麻(切火、塩水の祓いもあります)で、それぞれの心、身体を清めた上にも祓い清めて、祭典を始めます。
そこには、神さまから付与されている霊魂を増殖させ、新しく祓い清められた霊魂に神さまのご守護をうけ、すがすがしく祭典に奉仕、参拝し、ご神徳を頂くものです。

『大祓いはすなわち天地の真釣りなり』と示されていますが、信仰生活の第一歩は、祓いの実践からはじまります。
朝夕奏上する祝詞は祓いの言葉であり、浄化・潔斎につながっていくものです。

神を斎きまつるには、顕斎と幽斎の区別をわきまえ知らざるべからず。
真如ここにそのことを証せん。
顕斎は天津神、国津神、八百万の神を祭るものにして、宮あり、祝詞あり、供物あり、御弊ありて、神のご恩徳を称えて感謝の心をあらわす尊き業なり。
幽斎は誠の神、天帝を祈るものなれば、宮も社もなく、祝詞もなく、御弊もなく、供物もなし。ただ願うところのことを霊魂をもって祈りたてまつる道なり。
つづめていうときは、顕斎は祭るの道にして、幽斎は祈るの道なり。
まことの神は霊なれば、その尊き霊に対して祈るは霊をもってせざるべからず。
顕斎のみにかたよるも悪しく、幽斎のみにかたよりすぎるも悪しきなり。
祭るには偶像も悪しからず、ただし偶像目あてにして幸わいを祈るはよろしからず。
祈りは霊魂をもって天の御霊に祈るべきなり。              (出口王仁三郎)

教 天授の真理

大本の「教」は、天授の真理です。
天とは神のことですから、天地を創造された神から授けられた真理を教えとしています。
神は絶対的なご存在であり、大本の教えは、人間的な考えや私的な都合などはいっさい含まない、絶対的なものです。
そして、大本の教えは、時、所、人を問わず、時代を問わず、また現界、霊界を問わず、どこでも、だれに対してでも、絶対的な真理なのです。

教典・教説書・教書

特に二大教祖である出口なお開祖、出口王仁三郎聖師をとおしてまことの神から伝達された天授の真理が、根本の「教」です。
大本では、開祖の筆先に聖師が漢字を当てた「大本神諭」(全7巻)、聖師が口述した「霊界物語」(全81巻83冊)を二大教典とし、聖師が示した「道の栞」「道の光」を加えて教典としています。
教祖が直接示した教えが教典です。

それ以外の聖師の論文、随想、道歌、歴代教主・教主補の教示を教説書、時代の教主の教示を教書としています。神書とは、教典、教説書、教書の総称です。

強制の力が必要

教の方法は、外から内へ与えることと、内なるものを引き出すことの二方面があります。
この二つの方法は、同時一体となって行われるべきです。
前者は、教を豊かに学ばせるために外から与えることであり、後者は、生まれながらに宿っている神性を引き出し、それを成長させることです。

出口日出麿尊師は 教えること について、「緒強う」という字を当て、「オは魂の緒で霊魂のこと、教というのは悪い方の魂の緒をだんだんと強いて良くしてゆくという意味であります。
これは、悪い方を純化してゆく向上的な手段であります」と示しています。霊魂の悪い面は強いて抑え、良くしていくことです。
また良い面は、困難を排してそれを引き出し、伸ばしていくことです。
したがって、教には強制の力が必要です。

「なくて七癖」と言われ、だれでも自分の考え方、価値観、また態度や動作に現れる癖があります。
しかし、それが正しいとして自分勝手に生活していたのでは、この世に争いごとは絶えません。

特に、自分の考え方、価値観の中には、神がもっとも戒めている「われよし」「強い者勝ち」という悪の要素が、多分に含まれています。
大本の教えは天授の真理ですから、悪の要素が含まれていません。
この教えを実践することによって、神が願われるみろくの世が実現していくのです。

「感恩」「鍛錬」「順序」

尊師は、天授の真理である教の中で、、「感恩」「鍛練」「順序」の大切さを示しています。

まず「感恩」。
いろいろの理屈を知ったり、知識を得ることよりも大切なことは、ありがたいという気持ちを持ち、また友情、誠とはどういう力であるかを知ることです。

私たちの行動は、根底にある感謝の気持ちから発しているものです。
人間は片時も、神の恵みなくしては生きてゆけません。しかし、私たちはこのみ恵みに慣れすぎていて、神のありがたさを忘れてしまいがちです。
教えをとおして、改めて神の感恩を悟らせていただきましょう。

次に「鍛錬」。
真の自分をつくり上げていこうと思えば、それだけ苦しまなければなりません。
それだけ鍛錬されなければならないのです。

最後に「順序」。
これは、物と物との関係、人間同士の上下、左右の区別などをしっかりとわきまえていないと、真の教え、物の道理がわからないということです。

まず神書拝読から

教えを実践するには、まず神書を拝読することです。
手を清め、口をすすいで、清らかな気持ちで神書に向かい、二拍手をして拝読しましょう。
大切なことは、神の教えを素直に項くこと。
そして、声を出して音読することです。
音読することにより、自分の頭の中だけでなく、自分の中の守護神、また回りの霊にもみ教えが浸透していき、自分の血となり肉となっていきます。
拝読をしたら、示されていることを実践していくことに努めましょう。

大本の教典は普遍的な真理です。
また、歴代教主の教えは、それらの教典を時代に即して分かりやすく説き、時代時代の神の経綸の柱となるものです。
教えに基づいて、神の目から見て何が正しくて、何が間違っているかを判断し、神のみ心に添える行い、生活の実践に心がけていきたいものです。

慣 天人道の常

慣とは「天人道の常」と示され、天道の常、すなわち神が定められたならわしと、人道の常、人としてのならわしをさしています。

神が創造した宇宙のすべてのものは、天道のならわしのもとに活動しています。
すべての物の軌道は慣そのもので、地球と太陽、大宇宙と太陽系など、みな、神が定めた慣によって動いています。
また人も、神が定めた慣が備わっています。そういう意味で、天道と人道は一体のものであると言えます。

人間はだれでも、さまざまな癖、いろいろな習慣を持っています。その中で、生まれながらにして先天的に持っている習慣があります。
これは、五倫五常といわれる君臣、父子、夫婦、長幼、親友の守るべき道があります。
また一霊四魂の働き、すなわち、五情の戒律といわれる省みる、恥る、悔いる、畏る、覚るという、人間の霊魂の中に備わっているものがあります。
これらは、神から授かった人間の慣性です。

同時に、生まれてから日常生活の中で、後天的な慣性が身に付いてきます。
それによって生活のリズムができ、規律が生まれ、社会で生きていくすべを身につけていきます。

尊師は
「人を仕込むにも、教を先にしたらわからぬ。型からはいらせなくては身にしまない。真理に導くためには、慣ということは非常に大事なものであります」と示しています。
口で言うよりも、実際に体験させることで、体にしみこんでくるのです。

私たちが信仰生活をしていく上で大切なことは、知らず知らずのうちに身に付いた癖を直すことです。よくない習慣は、生まれながらに神から授かった一霊四魂をも曇らせてしまうことになります。
み教えに基づいて悪い慣を直し、良い慣をつくっていくよう心がけたいものです。

造 適宜の事務

造は「適宜の事務」で、人の天職使命である地上天国建設のために適材適所に従事する職業のことです。
尊師は「造は自分の思うままをつくること、創造すること、自己の自発的衝動のままに行うこと」と示しています。

慣や教にとらわれず造の生活をしているのは、赤ん坊です。
神さまから頂いたままの清浄無垢な状態で、朗らかな生活をしていますが、人間として生まれた以上は、慣や教を身につけ、祭の境地まで進まなければいけません。
造は慣を作り出します。造を悪く利用すると悪い慣が、造をよく利用すればよい慣ができます。造を行わせる力とは、人間の本能であり、神から頂いた先天的な意志です。

私たちは、なんらかの職業を持って生活しています。
私たちが神から頂いている天職使命は、地上天国建設のご神業に奉仕することで、すべての人に共通しています。
そして、それぞれの職業に従事し、その職業に励み、職業を通してこの天職を果たしていくことが、私たち人間に課せられた使命なのです。

一人ひとりが真の目的に向かってそれぞれの仕事に励むことで、世の中は一歩一歩みろくの世へと前進していきます。
そして、生業の中で信仰生活を実践していくことが、私たち信仰者にとって最も大切なことです。

 

■ 綱領
 大本では、次の四大主義をもって、大道実践の根本原理としています。
   一、清潔主義 心身修祓の大道
   一、楽天主義 天地惟神の大道
   一、進展主義 社会改善の大道
   一、統一主義 上下一致の大道

清潔、楽天、進展、統一の四大主義は、大宇宙でおのずと行われている事実です。
宇宙の呼吸であり、リズムであり、自然界の一切は、このリズムにしたがって、永遠に生成発展しています。
人間も、その自然的、体的機能は、この四大主義によっていとなまれています。
意識的生活の上においては、しばしばこれに反しがちであり、不幸の原因はここにあります。
四大主義の実践によって、人は霊体ともに、天地と呼吸を合わせ、天国的生活に入ることができます。すなわち、四大主義は天国生活の指針です。
大本では、神観・宇宙観、人生観、救世観など、広く、深く、神の教えを取り次いでいます。
神霊の気にみちた両聖地(綾部・梅松苑、亀岡・天恩郷)での生活を通して、開祖・出口なお、聖師・出口王仁三郎の二大教祖により伝達啓示された神教を中心に、人生の真意義を学ぶ場として、大本大道場を開講しています。

清潔主義 心身修祓の大道

清潔主義を実践することは、物質方面だけでなく、霊的な方面、心の方面をも祓い清めることです。
私たちはとかく目に見える方面のみにとらわれがちですが、物質方面を祓い清めること以上に、霊的な方面のお祓いが大切です。

私たちは日常生活の中で、物質的な祓い清めは、意識的に、また無意識のうちに行っています。
朝起きたら顔を洗いますし、窓を開け、掃除をします。
風呂に入って体を洗うこと、日々の掃除で補いきれない部分の定期的な大掃除なども、修祓、潔斎ですし、身だしなみや、トイレに行くなど生理的現象による行動も、無意識のうちに行っている体内の浄化、潔斎です。

私たちの体内では、常に浄化作用が行われています。
物を食べると胃腸で消化され、体内に必要な養分が吸収されると、残った部分は体外へと排泄されます。血液の循環も、胃腸で吸収した栄養分、呼吸器で取り込んだ酸素などを末端組織まで運び、使用された不要物を体外へ運び出して新陳代謝を行っています。

この体内での浄化作用のいずれかが障害を起こすと、体のバランスを崩し、健康を損なう原因となります。

天地自然の潔斎

天地自然の潔斎は、大潔斎、中潔斎、小潔斎に分けられます。
大潔斎は、大地震、大洪水など、天地の大掃除です。
中潔斎は国家、社会の大掃除で、戦争、火事、飢饉など。
小潔斎とは一身一家の掃除のことです。
大潔斎、中潔斎は、それらが起こることによって被害が伴います。神から見れば潔斎ですが、人間の小さな視野で見ると、これは災いであるとも言えます。

聖師は、「大三災小三災の頻発も人の心の反映なりけり」と示しています。
大三災とは風、水、火による天災、すなわち大潔斎のことで、小三災とは、飢、病、戦による人災を意味します。
ここ数年、異常気象や大地震、アメリカ同時多発テロに端を発したアフガニスタンやイラクでの戦争など、大三災や小三災が頻発しています。
このような災禍が起こるのは、人の心が反映しているのです。

邪気が災害の原因に

清潔主義は、霊体不断の修祓です。
霊的方面でみると、心の中に起こる地獄的な想念、恨み、ねたみ、憎しみといったものを絶えず祓い清め、常に清らかな気持ちで生活していなければ、清潔主義とは言えません。
それができていないから、その心の反映として、大三災、小三災が起きているのです。

すべての災害は邪気に原因があり、地獄的な想念が凝れば、それが社会全体へ影響して、災害を起こすのです。
異常気象が起こるのも、社会に争闘があるのも、社会共同の責任であると認識しなければなりません。

環境・食物が心に影響

出口日出麿尊師は、環境と食物が心に大きな影響を与えることを示しています。

私たちの身近な環境を見てみましょう。
便所のツボにはうじ虫がわき、溝には溝相応の物がわき、きれいな水にはきれいな魚が住んでいます。
不衛生な場所には腐敗が生じます。きれいな花園にはその蜜を求めて蝶が飛び交い、美しさを求めて人が寄り、天国さながらの空間が現出します。

このように、環境のいかんによって住むものも変わり、人間の気持ちも天国的になったり地獄的になったりします。

食物も人間の心に大きな影響を与えます。
肉食は精神的にも肉体的にもあまりよい影響を及ぼさないと示されています。
特に日本人は、昔からあまり肉を食べなかったため、体質的にも肉食はふさわしくありません。
腸の中で腐ると非常な毒になるそうです。
また肉類を多く食すると、性欲が強くなったり、気持ちが荒くなったり、忍耐力がなくなります。

食物は、植物性のものを主とした方が良く、植物性の物でも新鮮なものを摂取することが、体にも心にも良い影響を与えます。

植物性のものは、その土地の気を含んでいて、新鮮なほど気が充満し、栄養価は高いです。
しかし、現在店頭に並んでいる野菜の多くは、形は美しくても新鮮さが感じられません。

食物は旬のものがよいのですが、その季節にしか収穫できないものが年中出回っていて、いつが旬かも分からない状態です。
加えて、外国から輸入される果物や野菜、多量に農薬が使われているもの等も多く出回っています。

自分の健康は自分で守っていかなければいけません。
自身で無農薬有機農法で畑作を行ったり、害のない食物を求めるなど、体によいものを頂くよう心がけたいものです。

良い言霊で浄化を

清潔主義とは心身修祓の大道であり、修祓はすべて祓戸の神のお働きです。
私たちが奏上する祝詞は、全大宇宙を清める祓戸の神に、神意に反すること、罪、汚れを祓い清めていただき、神々が祓い清めの神徳を発揮されることをお願い申し上げるものです。
私たちは、祝詞を奏上するとともに、神人一致し、罪けがれを祓い清めるよう努めていかなければいけません。

祝詞だけでなく神書、宣伝歌、愛善歌などはすべて神の言葉であり、天授の真理です。
それらを声を出して発していくことで、大きな言霊の力によってその一帯が浄化されていきます。

加えて、周りに対して善言美詞に努め、人をほめたたえ、気持ちの良い明るく前向きな言葉をかけていくことも大切なことではないでしょうか。

楽天主義 天地惟神の大道

一般的に楽天主義というと、自分自身が楽しければそれで良いというふうにとらえられがちです。
しかし、自分の喜びを得るために周囲の人に不快な思いを与え、社会に害をなし、ひいては地球環境をも悪化させていることに気づかなかったり、気づいていても狭い範囲の喜びのために見て見ぬふりをしていることが、私たちの周囲には多いことも事実です。

楽天とは天命を楽しむことです。
天命とは、神から与えられた天職使命であり、神からのお言いつけです。
動物にも植物にも鉱物にも天命があり、いのちがあります。
すべてのものがその天命にしたがって天地の化育に参加することが、真の楽天です。

悪に陥りやすい特性

私たちの身の回りの動物、植物、鉱物は、天命にしたがって天地の化育に参加しています。
与えられた境遇に不平を言うわけでもなく、与えられた天命を果たすために懸命に生きています。
それに比べて、万物の霊長である人間はどうでしょうか。

人間には、神から分け与えられた知能と霊性が備わり、動物に比べてずば抜けて優れています。
それは、神の代行者として神の願われる理想世界を建設するために与えられたものです。
しかし、その優れた知能、霊性が、逆に悪霊の欲望を満たすために発揮されてはいないでしょうか。

現在、日本で、世界で起こっている現象を考えてみると、人間自身がより便利にしていこう、合理的にしていこう、開発していこうと行ってきたことが、オゾン層の破壊や地球温暖化現象などの世界的な異常気象につながり、神が造り上げられた美しい地球をも破壊してしまっています。
また、優れた知能は、核を開発したり自然や人を破壊していくさまざまなものを生み出す方向へと、利用されてきているのです。

人間は、神の入れ物になり得ると同時に、悪霊の入れ物にもなり得る特性を持ち合わせています。
そのために起こる罪悪の心が、神のみ心に背く形として現れてきているのです。

信仰的刹那最善主義

それでは、万物自然の心境である楽天的な気持ちで生きるには、どうしたらよいのでしょうか。
大本では、信仰的刹那最善主義の実践こそが楽天主義だと教えています。
すべてを神に任せ、刹那刹那に最善を尽くすことです。

人間には、幅広い自由意思が与えられています。
その自由意思を行えるのは、「今」という刹那だけしかありません。過ぎたことはいくら悔やんでもどうにもなりませんし、先のことはいくら思いわずらっても仕方ありません。
すべてを神に任せ、その時その時を楽しみながら精いっぱい生きることが、真の楽天です。

「今」というものは、過去が積み重なって「今」になったものですし、過去の結果があらわれたものです。また「今」が伸びていけば、未来になるものです。
過去も未来も現在が積み重なり、また現在が造っていくものです。

よく「人事を尽くして天命を待つ」と言われますが、すべてを神に任せて自身の最善を尽くす「天命を知って人事を尽くす」生き方の実践が、真の楽天主義の生活です。
楽天主義を実践し、勇んで暮らすことによって、歓喜に満ちた生活が現出します。その生活こそが、地上天国なのです。

進展主義 社会改善の大道

進展とは、より良くなりたいという行動の希望です。
天命を楽しむ「楽天主義」の実践には、行動が伴い、動きがあります。
その動きには、すべてのものが良くなりたい、向上したい、進歩したい、開発したいという、前向きな希望を持っています。
これは、私たちの周囲だけでなく、大宇宙のすべてにあるものです。

消極は地獄、積極は極楽

人間だけでなく、動物も植物も鉱物も、完全なものはありません。
完全でないから、より完全に近づくために、絶えず進展しようと努力し、生成化育を遂げています。
そして、すべてのものは常に進展し続け、後戻り、し直しはしないのが真のあり方です。

尊師は「消極は地獄であり積極は極楽である」と示し、生活の中で積極的に物事をなしていくことの大切さを説いています。
信仰生活では省みることが大切ですが、省みることは消極的に考えられる向きがあります。
省みるとは「少し上を見続ける」ことで、決して萎縮してしまったり、引っ込み思案になったりすることではありません。

現実を向上させる

現実は、一足飛びに理想どおりにいくものではありません。
少し上を見るということは、理想を見ながら今の現実を一歩ずつ着実に理想に近づけていくことです。
私たちは、天授の真理である「教え」と現実を照らし合わせ、現実をより理想に近づけていくことに努めていくことが大切です。

刹那最善主義の実践

そのために、常に内に省み、「教え」にそぐわない点は改善していく勇気が必要です。
自己を改善していくには、理想にそぐわない自己というものを捨てることが大切です。
自己を捨てることによって、より自己が拡大していくものです。
そして、信仰的刹那最善主義を実践し、謙虚に自己を省みる心によって、霊性の上でも進歩向上していくことができるのです。

この世の中は、一本の道筋の進展でなく、相反するものが順序よく行われていくことで進展していきます。
一日の生活の中には、夜があって昼があります。
呼吸をするにも、吐く息があって吸う息があります。食事を食べれば、必ず排泄という行為が伴います。
これらが順序よく適度に行われ、進展があるのです。

すべて、この+と−との無限の組み合わせによって、宇宙のすべてのものが生まれ、進展していっているのです。

進展していく中には、目の前にハードルが立ちはだかる場合もあります。
しかし、それを乗り越えると一気に道が開けることもよくあります。
さまざまな試練に遭い、壁にぶちあたって苦しい思いをしながら、真剣に神に祈り、その壁を乗り切っていくことが、人間をより成長させていくことにつながります。

神が創造したこの大宇宙は、無限の広がりをもちながらわずかな狂いもなく、一刻も休むことなく動いています。
私たちの人体も、寝ている間も神の守護を受けて活動しています。
私たちも、進展し続けるすべてのものに逆行することなく、常に前向きに進んでいきたいものです。

統一主義 上下一致の大道

統一主義は、四大主義の中でも最も重要なものです。すべてのものに統一がなかったら、そのものの存在自体がなくなってしまいます。

宇宙そのものが統一体

大宇宙そのものが、統一体をなしています。
無限に広がる広大な宇宙の空間にある天体は、すべて統一されて動いています。その軌道が不規則になったり変更されたら、宇宙そのものの統一がなくなってしまいます。

また、人体やその細胞一つひとつ、分子、原子といった極小の世界まで、すべて統一が保たれています。

中心帰向の調和相

統一とは、中心帰向の調和相です。
すべてのものは統一体であり、それぞれに必ず中心があります。
人間なら、頭が中心となって、頭の指令によって手足などの部分がその意思を把握し、体現しています。

団体生活の中では特に、統一は不可欠です。
団体なら必ず団体の長が中心になります。
その長と団体を構成する人たちの気持ちが一つになって物事が行われたとき、その団体は繁栄していきます。

神を中心とした統一体に

すべてのものは、神によって造られ、神によって生かされています。
すべてのものにとって、神を中心とした統一体になることが、それぞれの真の幸福につながっていくのです。
そのためには、「まつり」が不可欠です。

私たちは、神からつくられたすべてのものとまつりあわせていくとともに、創造主である神を絶対の中心として統一し、まつりあわせていくことが大切です。
そして、神のリズムである宇宙の普遍的なリズムにまつりあわせ、そのリズムにとけ込んだ生活を心がけていくことが、真の幸福につながる道なのです。

神のもとにすべてのものが和合し、神が願われる理想世界建設のために、私たち一人ひとりがその神業に奉仕していくことが、統一主義の根幹です。